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【toiro】「障がいを異文化として理解する」~出会いが支えてくれた 25 年間・その 3~

2024 年がスタートしましたが、新年早々災害が続き、被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。 自然災害や事故というものはいつどこで起こるかわからないということを、痛感させられる新年の幕開けとなりました。 2024年は世界中が安心・安全に向けて歩みを進める年となってほしいと願うばかりです。

 

前回、「人と違うということは、間違っていることではない」というお話をさせていただきました。 みんなが同じことができないといけないわけではない、十人十色で人にはそれぞれの個性があるんだから…と、頭ではわかってはいるのですが、私たち親は、特に子どもが小さい頃は、周りにいる同年代の子どもと比べてしまいがちです。特に初めての子どもだったりするとなおさらのことです。 我が子の場合、 集団行動が本当に苦手でした。 指示が聞けず、 学校では先生に、家ではお母さんに叱られてばかり、親も周りから陰であれこれ言われては、 ずいぶん悔しい思いもして、子どもに強く当たってしまうこともありました。そのたびに、親子で反省会。今から思えば違いを受け入れるということは、私にとっては、わが子の障がいを受容する大きな第一歩だったのだと思います。

 

そんな私が、 「なるほど!」と納得したのは、ADHD 指導者養成講座で出会った貴重なお話の第二弾で、「障がいを異文化として理解する」という考え方でした。「異文化」と聞くと、おそらく「国籍」や「宗教」などの違いから外国人とのコミュニケーションを思い浮かべる方が多いのではないかと思いますが、日本人同士においても存在するものなのだということに改めて気づかせてもらいました。

私たちは、自分と違うタイプの人と接するとき、ついつい自分の常識や価値観を押し付けてしまいがちですね。しかし、異文化理解という視点に立って考えると、 「自分の考えに固執せず、客観的に見る目を持って、自分と相手の違いを認識しつつ、お互いを尊重する」ということが大切なのではないかと思うのです。
発達障がいを異文化としてとらえることで、対外国人に接するように、対 ADHD、対 ASD と接することができたなら…とても自然な形でナチュラルサポートができるじゃないか…と思ったとき、 「そうか、そういうことか!」とストンと腑に落ちたのです。

 

日本は、多民族国家で多くの文化が共生しているアメリカなどの社会と比べると、なかなか浸透しにくい環境ではありますが、20年前と比べると「ダイバーシティ(多様性) 」に注目が集まったり、「統合教育からインクルーシブ教育へ」など教育現場でも変革が始まり、異文化理解のハードルは下がりつつあるのではないかと思うのです。

皆さんも「障がいを異文化として理解する」…そんな観点から、我が子や家族、自分の周りにいる人たちをもう一度見つめなおしてみてはどうでしょうか。なんとなくモヤモヤしていた世界が、少し違って見えてくるかもしれません。

次回も、発達障がいの子と歩んできた中で、印象に残った経験や学んだことをお伝えできればと思います。

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コラムtoiroは、発達障がいやコミュニケーションに苦手さを感じているご本人、学生さん、お子さんを応援するコラム。名前は、十人十色からつけました。
読者の方にとって、少しでも役に立つヒントになればうれしく思っています。
不定期ですが、ちょっとずつ更新していきます。

この記事を書いた人
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発達障がいのある二人の成人の母+就労支援事業所の支援員。
2人を育てた経験を活かし、自閉症スペクトラム支援士、ペアレント・メンターとしても活躍中。
最近は、ドラマを見ながら眠ってしまって結末が見れない母のために、それを見越して、そっと録画予約をしておいてくれる優しい息子と娘に感謝する毎日です。